4.補遺


  一九九九年七の月            (10.72)
  恐怖の大王が空から降ってくるだろう
  アンゴルモアの大王を蘇らせるために
  その前後の期間 マルスは幸福の名のもとに支配するだろう

〔注 五島勉氏訳。私は、「恐怖の大王」を長く核爆弾と考えてきましたが、こ
  の詩はХХ氏を滅ぼす大恐怖を予言していると考えたほうが適当なようで
  す。このとき「空から」は「神から」と考えます。「アンゴルモアの大王」を蘇ら
  せるためにとは、二つの意味がかけてあるようです。一つは、仏陀釈尊の
  法と権威がよみがえるということ。もう一つは、中世のヨーロッパ諸国がモ
  ンゴル帝国に対して抱いていた恐怖に匹敵するような恐怖をもたらす新しい
  東洋の王(メシア)の登場。なお、一九九九年は意図的な言い替え。ノストラ
  ダムスは預言の内容を広く周知せしめるために、またメシアに行動を起こ
  させるためにこの年を記述したものと思われます。〕

  どんなに長く待ってもやってこない                (10.75)
  ヨーロッパやアジアにあらわれ
  ヘルメスの進路からでて
  東洋の王たちすべてを超えるだろう

〔注 メシア予言。〕

  太陽が雄牛座の二十番にあるとき大地は激しくふるえ     (9.83)
  満員の大きな劇場は破壊し
  大気 天 地は暗くにごり
  不信仰者は神をよび聖人をよぶだろう

〔注 メシア復活の始まりの事件をあらわす予言詩。「雄牛座の二十番」は、言い
   換え日付け。また、「劇場」はテレビ局をあらわし、「暗くにごり」は天候を表し
      ていると思われます。〕

  六つの(六番目の一筆者〉明るい天の輝きから        (1.80〉
  プルゴニューを非常に力あるものとするだろう(ブルゴニューに非常に強い雷
  鳴がくるだろう−筆者〉
  そのうち 見るも恐ろしい獣の怪物が生まれ
  三月 四月 五月 六月には大論争とざわめきが起こるだろう

〔注 「六番目の明るい天の輝き」とは、六番目の満月の日という意味か。また
   「大論争とざわめき」の原意は「ずたずたにする、かみつく」なので、これは
   メシアに対する誹誇、中傷のことと思われます。〕

  両方の花があまりにも遅くなくなり(二つの花があまりにも遅くー筆者) (6.62)
    法に対してヘビはなにもせず
  同盟の力はかけ足で混乱し
  サボイ アルビ モナコによって殉教者は苦難をなめるだろう

〔注 「二つの花」はKさんとMさん。「ヘビ」はメディア。「法に対してなにもしない」とは
   下劣な好奇心だけ働かせて将来の有益なことに対する取材は一切しなかったと
   いう意味ーメディアの本質的な体質をあらわす。〕

  ながいあいだ枯れたままのしおれた木が            (3.91)
  ある夜 ふたたび緑になり
  王は病気になり 王子は足をしばり
  敵たちを恐れて彼は船をもとにもどすだろう

〔注 病気になる「王」はテレビ局の管理者。「船をもとにもどすだろう」とは隠匿を繰り
   返してきた情報管理や取材規制をやめるということ。〕

  三月(三番目の月ー筆者)には太陽がのぼり         (1.23)
  猪と豹は火星で戦い
  豹は疲れ その目は天を向き
  鷲は太陽のまわりを飛んでいるのが見える

〔注 太陽は日本。鷲はアメリカ。豹はХХ氏。三番目の月にメシア出現の情報
   が世界に広がるという予言か。〕

  モントーバン ニスメス アビニョン ベジェ            (3.56)
  疾病 雷光 あられが三月のおわりに
  パリの橋 リヨンの壁 モンテペリエー(は落ち)
  六〇〇と七から多くを三つの部分に

〔注 三月(言い換え日付け)のおわりにメシアに関する情報が衝撃的に発信されるようです。〕

  ライオンの近くを白い羊毛にむかって               (6.35)
  白羊官 金牛宮 かに座 しし座 乙女座
  火星 木星 太陽がはっきり燃えていて
  森と町々 手紙はローソクの中にかくれる

〔注 「大警告」が世界に広がるかに座、しし座。「手紙はローソクの中に」とは手
   紙のコピー(預言解読書)が燃やされること。〕

  地震は五月に起こり(五月の震えは強いだろう一筆者)    (10.67)
  土星 流星塵 木星 水星は雄牛座に
  金星もおなじく かに座 火星はゼロに
  そこで卵より大きいひょうがふるだろう

〔注 メシアの復活の事件。流星塵(Caper)は山羊(意味は仮面の悪魔)、雄牛座(Boeuf)は
   牡牛(意味は強気)か。〕

  火星と王位の杖は一緒にむすばれ              (6.24)
  かに座のもとに悲惨な戦いが
  少しのあいだ新しい王が聖別されたあと(少しあとに新しい王が聖別され−筆者)
  ながい期間地を平和にするだろう

〔注 メシア復活のための戦いの予言詩と思われます。〕

  ケラモナゴラの一人に                   (9.62)
  すべてをむすんで列を交差させ
  ねばりづよいオッピとマンドラゴラ
  十月三日にローゴンは解放されるだろう

〔注 「ケラモナゴラ」のナゴラは名古屋か。オッピとマンドラゴラの頭文字OとMは二人の
   女性の頭文字のようです。「ローゴン」はメシア。十月三日は言い換え日付け。〕

  二十足す二掛ける六のとき天空の知識が         (極秘大予言〉
  意気揚々と惑星を訪れ、病気、疾病、飢餓が消滅する。
  ローマは救われる魂に歓喜し、学者は畏怖して微笑む。
  占星術は認められ、科学の新時代が始まる。

〔注 メシア復活の予言詩と思われます。〕

【戦いの帰趨が決した直後の状況】

  橋と風車が十二月に打ちこわされ(ひっくり返され一筆者)  (9.37)
  高いところにガロンヌがきて
  城壁 建物 トールーズは破壊され〈ひっくり返され一筆者)
  そのためだれも場所がわからず 多くのマトロンで

〔注 「十二月」は言い替え。「ガロンヌ」はメシア。トールーズは京都。
   「マトロン」は婦人。〕

  署名した者の救助は価値がなく                  (9.47)
  たくさんの逆の忠告から
  かれらの君主は変わり 危険にさらされ
  かごの中に閉じ込められるだろう

〔注 「署名した者」は君主の連判状に署名した人。〕

  異邦の兵士たちが王をたおし                   (8.73)
  不正で死ぬようなめにあい
  強欲な母がそのもとをつくり
  共謀者と王国は自責の念にかられる

〔注 「強欲の母」は京都の女性。彼女には、メシアが一九九九年四月二日に
   投函した「君主」宛の手紙を隠匿した疑いがあります。〕

  細かにちぢれた黒いひげは                     (2.79)
  戦いで激しい残忍な国民を圧倒するだろう
  シーレンは監禁(のろのろした人一筆者)から自由になり
  すべての捕虜はセリムの旗となるだろう

〔注 「シーレン」はメシア。「すべての捕虜」はつばをはかれた三十人の味方。〕

  甥と聖なる血が新たにやってきて                 (10.30)
  あだ名でアーチは弦のようにあげられおおわれて
  かれらはつかまり 死に そしてはだかで追いだされる
  赤と黒を緑に変えるだろう

〔注 「聖なる血」はメシア。「赤と黒」は出家修行者と在家修行者。〕

  人が自然のままの名で呼ばれ                   (1.76)
  そのために三人の姉妹は運命の女神と呼ばれるだろう
  あとになって多くの人々が口々に そして行動にあらわしていうだろう
  かれは名声を得 だれより知られるようになるだろう

〔注 「三人の姉妹」は名古屋の三人の女性。〕

【その他のメシア予言】

  アキレスをだまして宝の弓は                   (7.1)
  方形の繁栄をまし
  王の行為で評判が知れるようになり
  からだは 人々のじゅうぶん見られるところにさげられる

〔注 「アキレスをだまして」とは、メシアがマスコミに勘違いの情報(主に時間に関する)を流して、
   結果的にマスコミをだましたこと。また「宝の弓」はこの解読書のこと。〕

  手(手紙一筆者)は女王の箱の中にみつかり           (8.23)
  題名も著者名もなく
  政治により提出者はかくされ
  だれも愛する人を知らない

〔注 「愛する人」はメシア。〕

  四年間彼は教皇の座をよくまもり                (6.26)
  好色な生活をつづける
  ラベンナ ピサはベロナの一部となり
  教皇の十字架をひきあげる

〔注 「好色な生活をつづける」のはデビュー前のメシア。〕

  聖なる壮麗さは翼を低くたれ                   (5.79)
  偉大なる法をあたえるためにやってきて
  彼は謙虚で反逆者をくやしがらせる
  競争者がそのほかにでることはない

〔注 「反逆者」は複数なのでテレビ局の管理者たち。〕

  水中から三重の性をもったものが生まれ            (1.50)
  だれかが休日を木曜日に決めるだろう
  彼の名声 賞賛 支配 力は大きくなり
  陸と海で 東は大暴風雨になるだろう

〔注 「水中」の原語は「水の多い、水辺の」という意味なのでここは天候のこ
   とと思われます。〕

  二つめの千年期、王の息子が世紀の変わり目に、    (極秘大予言)
  雷鳴のなか、万人の前に姿を現わす。
  怒り、戦争と疾病のがれき、罪。
  魚は長き眠りののち、力を取り戻す。

  赤い帽子たちは喜び、ローマはシュロの葉を敷く。      (極秘大予言)
  煙が灰から立ちのぼるとき、無数の叫びが響く。
  争いの断末魔への苦悶から。
  だが、その人はそれを永遠の平和のために終わらせる。

  天空から来た新指導者が人々をひとつにし、         (極秘大予言)
  すべての党派は滅び、新たに生まれ変わる。
  高位聖職者は喜んでより高い支配に従う。
  天使の喜びの姿が見え、赤い男は底無しの穴で消滅する。

  壁がレンガから大理石に変わり                 (10.89)
  五十七年間平和になり
  人類によろこびを 水路は再建される
  健康 たくさんの果実 よろこびと甘美なるときが

  王が医者に見すてられ                      (6.18)
  ヘブライの術によらず 力のかぎり生きつづけ
  彼とその血族は王国の頂点にあり
  恩恵はうらやむべきキリストの人々に与えられるだろう

   〔注 メシアの死。〕

【「苦難のしもべ」第二歌】

  海沿いの国々よ、わたしに聞け。
  遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。
  主はわたしを生れ出た時から召し、
  母の胎を出た時からわが名を語り告げられた。
  主はわが口を鋭利なつるぎとなし、
  わたしをみ手の陰にかくし、
  とぎすました矢となして、
  えびらにわたしを隠された。
  また、わたしに言われた、
  「あなたはわがしもべ、
  わが栄光をあらわすべきイスラエルである」と。
  しかし、わたしは言った、
  「わたしはいたずらに働き、
  益なく、むなしく力を費した。
  しかもなお、まことにわが正しさは主と共にあり、
  わが報いはわが神と共にある」と。
  ヤコブをおのれに帰らせ、
  イスラエルをおのれのもとに集めるために、
  わたしを腹の中からつくって
  そのしもべとされた主は言われる。
  (わたしは主の前に尊ばれ、
  わが神はわが力となられた)
  主は言われる、
  「あなたがわがしもべとなって、
  ヤコブのもろもろの部族をおこし、
  イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、
  いとも軽い事である。
  わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、
  わが教を地の果てにまでいたらせよう」と。         (イザヤ 49−1)

【「苦難のしもべ」第三歌】

  主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、
  疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、
  また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、
  教をうけた者のように聞かせられる。
  主なる神はわたしの耳を開かれた。
  わたしは、そむくことをせず、
  わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、
  わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、  
  恥とつばさとを避けるために、
  顔をかくさなかった。
  しかし主なる神はわたしを助けられる。
  それゆえ、わたしは恥じることがなかった。
  それゆえ、わたしは顔を火打石のようにした。
  わたしは決してはずかしめられないことを知る。
  わたしを義とする者が近くおられる。
  だれがわたしと争うだろうか、
  われわれは共に立とう。
  わたしのあだはだれか、
  わたしの所へ近くこさせよ。
  見よ、主なる神はわたしを助けられる。
  だれがわたしを罪に定めるだろうか。
  見よ、彼らは皆衣のようにふるぴ、
  しみのために食いつくされる。              (イザヤ 50−4)

【「苦難のしもべ」第四歌のつづき】

  彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
  ほふり場にひかれて行く小羊のように、
  また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
  口を開かなかった。
  彼は暴虐なさばきによって取り去られた.
  その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
  彼はわが民のとがのために打たれて、
  生けるものの地から断たれたのだと。
  彼は暴虐を行わず、
  その口には偽りがなかったけれども、
  その墓は悪しき者と共に設けられ、
  その塚は悪をなす者と共にあった。
  しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
  主は彼を悩まされた。
  彼が自分を、とがの供え物となすとき、
  その子孫を見ることができ、
  その命をながくすることができる。
  かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
  彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
  義なるわがしもべはその知識によって、
  多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
  それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
  物を分かち取らせる。
  彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
  これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
  とがある者と共に数えられたからである。
  しかも彼は多くの人の罪を負い、
  とがある者のためにとりなしをした。          (イザヤ 53−7)

【主、主の道】

  主なるわたしは初めであって、
  また終りと共にあり、わたしがそれだ。           (イザヤ 41−4)

  わたしより前に造られた神はなく、
  わたしより後にもない。
  ただわたしのみ主である。
  わたしのほかに救う者はいない。              (イザヤ 43−10)

    主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、
  万軍の主はこう言われる、
  「わたしは初めであり、わたしは終りである。
  わたしのほかに神はない。
  だれかわたしに等しい者があるか。
  その者はそれを示し、またそれを告げ、
  わが前に言いつらねよ。                   (イザヤ 44−6)

  だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。見よ、その仲間は
  皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、
  恐れて共に恥じる。                      (イザヤ 44−10)

  あなたをあがない、
  あなたを胎内に造られた主はこう言われる、
  「わたしは主である。わたしはよろずの物を造り、
  ただわたしだけが天をのべ、地をひらき、
  −−−だれがわたしと共にいたか−−−   (イザヤ 44−24)

    わたしは主である、わたしのほかに神はない。
  わたしは光をつくり、また暗きを創造し、
  繁栄をつくり、またわざわいを創造する。
  わたしは主である。
  すべてこれらの事をなす者である。             (イザヤ 45−7)

  地の果なるもろもろの人よ、
  わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
  わたしは神であって、ほかに神はないからだ。      (イザヤ 45−22)

  あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、
  主を尋ねよ。
  近くおられるうちに呼び求めよ。
  悪しき者はその道を捨て、
  正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。
  そうすれば、主は彼にあわれみを施される。
  われわれの神に帰れ、
  主は豊かにゆるしを与えられる。              (イザヤ 55−6)

  もし安息日にあなたの足をとどめ、
  わが聖日にあなたの楽しみをなさず、
  安息日を喜びの日と呼び、
  主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、
  これを尊んで、おのが道を行わず、
  おのが楽しみを求めず、
  むなしい言葉を語らないならば、
  その時あなたは主によって喜びを得、
  わたしは、あなたの地の高い所を乗り通らせ、
  あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、
  あなたを養う」。
  これは主の口から語られたものである。          (イザヤ 58−13)

  主は義を胸当としてまとい、
  救のかぶとをその頭にいただき、
  報復の衣をまとって着物とし、
  熱心を外套として身を包まれた。
  主は彼らの行いにしたがって報いをなし、
  あだにむかって怒り、
  敵にむかって報いをなし、
  海沿いの国々にむかって報いをされる。          (イザヤ 59−17)

  主は地球のはるか上に座して、
  地に住む者をいなごのように見られる。          (イザヤ 40−22)

  わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
  わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
  主は言われる。
  天が地よりも高いように、
  わが道は、あなたがたの道よりも高く、
  わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。       (イザヤ 55−8)

  いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、
  その名を聖ととなえられる者がこう言われる、
  「わたしは高く、聖なる所に住み、
  また心砕けて、へりくだる者と共に住み、
  へりくだる者の霊をいかし、
  砕けたる者の心をいかす。                  (イザヤ 57−15)

  主はこう言われる、「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力あるも
  のはその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る
  者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わ
  たしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であること
  を知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。
                            (エレミヤ 9−23)

  主を恐れるとは悪を憎むことである。
  わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、
  偽りの言葉とを憎む。                     (箴 8−13)

  いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、
  主を恐れることによって、人は悪を免れる。        (箴 16−6)

  人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、
  しかし主は人の魂をはかられる。              (箴 16−2)

  こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であるこ
  とを悟るだろう。                        (黙 2−23)






©kaminokuni